かつては高級家具問屋街として知られましたが,第二次世界大戦の空襲により多くの建物が焼失し、戦後は繊維問屋街として再建され現金取引の卸小売で繁栄し、大阪の代表的な繊維問屋街として有名になりました。丼池筋の名前は、かつてこの地域に存在した難波薬師の境内にあった丼のような形状をしていた「丼池」と呼ばれた池に由来しています。